新しい公共

渡部達也

2010年08月29日 11:04

 昨日、静岡市民文化会館で行われた『みんなで創る、わたしたちの自治』というシンポジウムに参加してきました。

 メディアにもよく登場する根本祐二/東洋大学教授の基調講演および元我孫子市長、福嶋浩彦/消費者庁長官と日詰一幸/静岡大学教授のバネルディスカッションを聴講しました。

 根本教授は新しい公共について、以下の図をもとにわかりやすくお話をしてくださいました。





 ここで当日のお話に近いことが掲載されています⇒講義レポート

 その後、基調講演を受けて、福嶋さんと日詰教授がこれもまた、両者ともにうなづけるお話を展開してくださいました。


 帰宅後、自分たちの取り組んでいる市民活動に照らして、次のようなメールをお三方に出しました。

 
 どうも自分の実感として、実感というのは、まだ「オールウェイズ三丁目の夕日」的な地域像が残っていた人口4万の自治体で過ごした子ども時代、児童相談所のケースワーカーをしていた20数年前、県立こどもの国のスタッフをしていた10年前、と今の活動に取り組んでのここ6年を眺めての実感ですが、「地域」の三角形も、「政府」の三角形も、多様化する市民ニーズに対して提供できる公共サービスという比較において、以前よりも小さくなっているのではないかと思うのです。
 専門ではないですが、それはたぶん「市場」の三角形も同様ではないかと。

 したがって、みなさんが議論されていた新しい公共で埋めるべき真ん中の三角形が、実は大きな六角形になってしまっているのかもと感じています。
 取り組んでいる活動分野である子どもたちのことで言えば、小中学生の不登校12万人、高校生の不登校・中退14万人といった数字がその辺りを表しているように思います。

 僕らの活動に居場所を求めて参加してくる子どもたちは、かつては、地域や政府(具体的には、学校や福祉事務所などの行政サービス)が温かく見守ることで、問題を顕在化させずに済んだ子どもたちのような気がします。
 「市場」についても、例えば江戸時代の寺子屋などは、貧乏な家庭からは謝礼をもらわなかったり、ということがあったのが、今や習い事・塾は一律料金、同一サービスとなり、結果、近年指摘されるような経済格差イコール学力格差という状況も生まれているのではないかと。

 僕らが取り組んでいる、子どもたちをどう豊かに生き生きと育んでいくか、という我が国とって重要な公共サービス分野から眺めても、「地域」、「政府」、「市場」が提供できるサービスの三角形が小さくなっているのではないでしょうか。
 つまり、「地域」、「政府」、「市場」の隣接部分がなくなり、真ん中の三角形が六角形になり、しかもその六角形が年々、大きくなっているように思います。

 だから、僕らのような草の根の市民活動がメディアでも大きく評価されるようになってしまっているのではないかと。
 自分の少年時代だったら、こんな活動にメディアが取材に来るなんてことはなかったでしょうし、そもそも、必要とされる活動ではなかったでしょう。

 どうやら、自分たち(市民活動に携わる者)の使命は、当面は真ん中の六角形に含まれている様々な社会的課題に新しい公共の担い手として取り組みつつ、その成果を踏まえ、でも、これは「地域」でできますよ、これは「政府」として取り組んでほしいですよ、ここは「市場」がもう少しカバーしてもらえませんか、という発信をしていって、真ん中の六角形を先ずは三角形に戻していくことかなと思ったりしました。


 以上のメールに対して、根本教授から、(なるほどぉ)というお返事をいただきました。

 根本です。
 ありがとうございます。
 実は、ペストフ(注:スゥエーデンの政治経済学者)のオリジナルのトライアングルは、3つの主体が部分的に重なっていて、その重なりが大きいほど真ん中は小さくても全体はカバーされます。

 日本の現実は、3つの主体がお互いに責任を回避してすきまができ、結果的に6角形になっているのかもしれません。

 ご指摘、興味深く拝読しました。

関連記事